雑記帳なじ

てきとーに書く マイクラネタ多めなのでご注意を

高専専攻科を修了しました

はい、またもやめちゃくちゃお久しぶりです。この度私事ですが、無事高専専攻科課程を修了する事ができましたので、本科と専攻科の計7年間の振り返りとして簡単に書いておきます。駄文ですがよろしくお願いします。

※出身高専および科の名称は、ここでは伏せさせていただきます。あらかじめご了承ください。

1年生

第50期生として情報系の学科に入学。当時幣校の1年生は他学科混合のクラス分けとなっていました。

4月の入学式が終わった後、すぐに計算機部(仮称)の部活動に参加しました。中学生の頃に親父から誕生日に貰った『苦しんで覚えるC言語でプログラミングに興味を持っていた私にとっては、「ここに入りたい!」と思ってました。部活動でも先輩直伝によるC言語の講座が行われていましたが、もともと予備知識がありサクサクと学習を進めらました。そんな中、とある先輩から一言、「競技プログラミングやってみないか?」と声をかけられました。それが、自分が現在に至るまでの7年間でC++アルゴリズムを追いかけるようになったきっかけでもあります。そしてなぜかJavascriptがどんどん嫌いになっていったきっかけでもあります

実家からの通学が困難だったため、本科にいる間はずっと学寮のお世話になっていました。現在はかなり緩くなったらしいですが、当時の学寮はいわゆる年功序列制度として、通常の規則に加えて先輩から様々な"ルール"が課せられていたり、イベント等では芸を披露しなければならなかった(しかも芸には入念なチェックが入り、課題やテスト勉強をする時間を潰す必要もあった)ため、この時の学寮に関してはあまり良い思い出はありませんでした。

2年生~3年生

2年生からは学科ごとのクラス分けになり、以降5年生を卒業するまでのクラスメートとして、共に学校生活を送る事になりました。また、学寮での生活にも慣れてきたり、部活動ではC++アルゴリズムの知識を付けたりと、色々と"できる"事、"しやすい"事が増えてきた時でもありました。部活動の方では、この頃からは高専プログラミングコンテストの出場を見据えるようになり色々と精進していました。

しかしいい事ばかりではありませんでした。この時、学寮の同室トラブルにより十分な睡眠やストレス発散ができず、とうとう円形脱毛軽度の鬱病を発症しました。その時以来からはとにかく薬漬けの日々となり、特に円形脱毛症については再発しやすいため根治は難しく、結果的に3年間にわたる長期的な治療をする事になりました。

3年生になると授業のレベルが格段に上がり、常に課題に追われる日々となっていました。この頃に、先輩から声をかけて頂き、深夜まで先輩とアイデアをひねりつつ高専プロコンの自由部門に申し込みをしましたが、残念ながら予選通過には至りませんでした。と同時に、競技系のコンテストでは順位が上がり始めた頃でもあったので、やっぱり自分は「競技系を極めたい!」と強く思いました。

4年生

この年は自分にとって色々な意味で色濃い記憶となっています。主にクラス内での私のポジションが(意図せずに)ネタキャラになってしまった事とかですかね…??

他には、この年は多くの場面でリーダーシップを取る事になりました。特に一番大きかったのは、所属していた部活動の部長に就いた事です。これまでとは違い、後輩に向けて色々な教育・指導をして、引継ぎをしなければならない重要な任務があるためです。そしていよいよ、高専プロコンの競技部門に参加しました。この年の競技内容は、一言でいえばタングラムパズルを解く内容でしたが、とにかく色々な意味で難易度が高く、自分の知識不足もあり準決勝敗退に終わってしまいました。

その後、とある友人と一緒にセキュリティ系の分野のお勉強を始める事にしました。はじめはそこまでではなかったのですが、ちょっとずつそちらの方の趣味にも興味を持ち始めていきました。

5年生

5年生になってからは、かなり色々と自由に行動できるようになったり、1年間を通して研究の成果を出さなければならなかったりととにかく充実しているようでかなり忙しい時期でもありました。

そんな中、自分は専攻科への内部進学が確定し、受け入れ可能な研究室に配属されました。しかし、今後3年間向き合う事になる研究テーマを考えて、「これをやりたい!」と思っていたネタをボスに相談するも、なかなかGOサインをもらう事が出来ずにいました。そのため、日々頭の中でアイデア出しや改良を行ったり、論文を読み漁ったりなどをしていては報告会のためのスライド作りなどをしてばかりいました。

そんな中、去年に引き続き高専プロコンの競技部門に参戦。内容は去年度と同じタングラムパズルを解くというものでしたが、主に研究のおかげでいろいろと忙しくて取り組む暇がなく、結果は【お察しください】でした。

しかしこの時はまだ甘かった…。卒論提出が2月下旬ぐらいでしたが、1月末日に奇跡的にもインフルエンザに感染、学寮から追い出されてしまいました。自宅療養によりインフルが治ったと思ってた矢先、突如症状が悪化し肺炎を患い、結果学校に復帰できたのは2月中旬でした。その時の記憶がほとんどありませんでしたが、無事に期日までに卒論は提出、発表会も無事に終わったとの事です。

専攻科1年生

専攻科に入学したと同時に、これまで生活していた寮を飛び出し、学校近くのアパートを借りて生活していました。初めての一人暮らしで最初は寮生活以上に不安だったものの、すぐに生活のやりくり等から楽しみを見出せるようになっていました。

学校の授業は本科の時よりもかなり少なくなり、一週間の半分ぐらいを研究室で過ごすようになりました。本科5年では散々ボスに迷惑をかけてしまいましたが、専攻科になってからは、自分の研究以外にもボスから研究室運営の補助を任されるようになりました。

8月の校外実習として、ボスからとある企業のインターンシップを紹介させていただいたので参加しました。本科4年の頃からは、競技プログラミング以外にもセキュリティ系の分野にも興味を持っていましたが、このインターンシップでさらに興味を掘り下げる事ができ、セキュリティ系の仕事に就きたいと決意しました。そして昨年1月からインターンシップでお世話になった企業の方にて就職試験を受け、3月後半には内々定を頂く事ができました。

専攻科からはあまり部活動に関与しなくなりましたが、コーチとして陰ながらも部長や部員に対してアドバイスをして自分なりに支えていました。しかし、この年は部活動にとってかなり激動の時代だったと思います。部長さんからも相談を受けましたが、どうやらかなり深刻な問題が取り巻いている様子でした。中には自分が部長をしていた頃に発生していた問題があったりなど、その部長さんに大きな迷惑をかけてしまっているんだという自覚もありました。本当に申し訳なく思っております。

専攻科2年生

授業が週に3コマぐらいしかなく、本格的に研究にのめりこめるようになっていました。他のみんなより1足早くに進路が決まったため、いくらか時間的余裕ももててよいスタートダッシュが決められました。

研究室運営も去年度よりも多くの面で任されるようになり、自分の研究と同時に5年生さんの研究指導も任されるようにもなりました。

しかし、夏休みが終わった時からは私個人や学校内を始め、いろいろな(あまりよくない)出来事が立て続けに起こり、急激に忙しさが激化しました。ここでは詳細は伏せますが、ちょうどこの頃から自分の中での雲行きが怪しくなったりしました。しかし、似たような経験を既に5年生で味わっているため、今度こそはとそれに対する対策的な行動をとるようにしました。とにかく、自分の中で頼れる人にはどんどん頼ろうと。

その結果が功を成したのか、無事に2年間、いや、3年間にわたる自分の研究を完成させる事ができ、先日(3/17)無事に高専専攻科の7年間の学校生活に幕を閉じる事ができました。

おわりに

とりあえずざっと7年間を振り返りましたが、まあ良くも悪くも頑張った方だと自己評価しています。特に、自分の中で好きな分野についての知見をかなり掘り下げられたかと思います。留年をせず、現役で専攻科修了まで7年間こぎつける事が出来ただけでも自分の中では評価に値する事だと思っています。

ここまでできたのも、自分を励んでくださった友人、先輩後輩、先生、家族の方々に支えられたからだと思っています。この場を借りて御礼を申し上げます。

4月からは社会人1年生として(就職先の会社に対しても、個人の振る舞いとしても)勤めてまいりますので、これからもよろしくお願いします。